2人目「レーシングドライバー・松田次生」

投稿日: 2009年06月10日(水)23:17
0012
0022 0032
0062 0072
0082

第2回「三重の100人」。
2人目にして、なんとチャンピオンである。それも2年連続の。
そう、今回登場していただくのは、レーシングドライバー・松田次生さん。
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン 2007年、2008年のシリーズチャンピオンである。

101松田次生(まつだ・つぎお)
レーシング・ドライバー。

1979年生まれ。93年からカートを始める。95年、全日本カート選手権FSAクラスに参戦。97年にレーシングスクールSRS-Fに入校し、スカラ シップを獲得。98年、全日本F3選手権で初優勝を果たし、フォーミュラ・ニッポンにもスポット参戦(6位入賞)。99年、全日本F3選手権ランキング5 位、マカオGPで4位入賞。2000年、PIAA Nakajima Racingからフォーミュラ・ニッポンに参戦。第3戦で最年少優勝を達成し、大きな注目を集める。年間ランキングでも4位を獲得。2001年シーズンか らは、フォーミュラ・ニッポンと並行して全日本GT選手権にも参戦。2002年、Formula Nippon年間ランキング5位、全日本GT選手権年間ランキング2位。
2007年Formula Nipponに「TEAM IMPUL」から参戦し、未勝利ながらもシリーズチャンピオンを獲得。翌2008年には開幕3戦連続ポールtoウィン、開幕6戦連続ポールポジション獲得 など圧倒的な速さを見せつけ、シリーズ史上初、2年連続でのシリーズチャンピオンを獲得。


Q1:生まれたところは?
A1:三重県桑名市です。

Q2:生年月日を教えてください。
A2:1979年(昭和54年)6月生まれです。

Q3:現在はどちらにお住まいですか?
A3:東京と三重を行ったりきたり。拠点は東京になりますが、住民票は桑名にあります。

Q4:住まいを三重から移したのはいつですか?(その理由は?)
A4:2007年、現在のチームに移ったときからです。日本中移動する仕事ですし、やはりスポンサー企業も東京に多いので拠点を移しました。

Q5:三重県でお気に入りの場所はどこですか?
A5:もちろん鈴鹿サーキットです!

Q6:三重県でお気に入りの店はどこですか?
A6:桑名にあるうどん屋さん。はまぐりが入っていて旨い!
あと肉が好きなので焼肉屋にはよくいきます。鈴鹿、四日市あたりのお店にいくことが多いです。

Q7:三重県に住んでいて「よかったなー」と思った瞬間は?
A7:長良川の近くで生まれ育ったものですから、やはり長良川を眺めたときでしょうか。
東京には家のまわりにも自然がなくて・・・息がつまりそうになって三重に帰ってきます(笑)。

Q8:逆に三重県に住んでいて「つらいなー」と思ったことは?
A8:生活するにはいいところですが、全国に移動する拠点と考えると少し不便。2年前までは結構大変でした。
あとコンビニまで遠いのもつらいかなー(笑)。

Q9:あなたが考える「三重の自慢」は?
A9:海、山、川のめぐまれた自然があること。あとは、松阪牛、イセエビ、はまぐり・・・と、有名でおいしい食べ物があること。

Q10:「住みたい都道府県ランキング」。あなたなら三重県を何位にする?
A10:うーん、1位じゃないな・・・・。10位くらい(笑)


102 松田さんにお話をお聞きするため、お邪魔したのは三重テレビ。

松田さんは、「とってもワクドキ!」という夕方の帯番組の火曜日のコメンテーター。

(隊長は水曜日の担当ですよ!)

リハーサル中のスタジオに突撃!
104 103
105 松田さんは、この「ワクドキ」に出演、そして桑名にある事務所に顔を出すため、ほぼ毎週三重に戻ってくる。

仕事上の拠点は東京、でも個人としての拠点はやはり三重・・・・本当に三重が好きです、という。

まもなく改修工事を終え、世界最高峰ともいえるコースになる鈴鹿サーキット。

そのサーキットでゴーカートに乗ったことが、レーシングドライバー「松田次生」の原点。
そのきっかけが、レースの世界へと導き、そしてチャンピオンという頂まで走らせた。

松田次生と三重。
鈴鹿サーキットとレース・・・。

「ワクドキ」本番までの時間・・・・三重テレビの会議室でお話を聞いた。

001a
106 –やっぱり鈴鹿サーキットのある三重ですから、カートやレースを楽しめる環境は、他県より整っているのでしょうか」

松田「今はどうかわかりませんが・・・少なくとも僕がカートをはじめた頃は、有利な地域とはいえませんでしたね。

僕がカートをはじめたのは中学3年のときですが・・・その時カートコースは津にしかなかった(笑)。
当時はまだ普通免許を持っていませんから、鈴鹿のショップにカート預けてあって、週末ごとに近鉄(電車)に乗って桑名から鈴鹿まで行き、そしてショップか らカートといっしょに津のコースにいって練習してました・・・」

–毎週?お独りでですか?

松田「はい。カートが好きなヤツが他にいませんでしたし・・・。みんなが女の子と映画にいったりして遊んでいるときに、エンジンの音とガソリンの匂いに包まれてました。
基本的にネクラですね、僕は(笑)」

–その頃からプロのレーシングドライバーになろうと考えていた。

松田「はい、かなり(笑)。
それで高校3年のとき、鈴鹿サーキットのレーシングスクールSRS-Fに入学したんですが、そこの入学金が700万円もするんですね。
親を説得して出してもらったんですが、そのとき父から「おまえの一生の仕事にするのか」と聞かれて、もうこっちも必死ですから夢中で「はい!」と答えて・・・(笑)。
もうこれで後戻りできないな・・・と。
やれるところまでやるんだと覚悟を決めましたね。

–もうそうなったら、ずっと頭の中はレースばかり?

松田「はい。明けても暮れても(笑)。
レーシングスクールは、基本的に月、火とあるんですが、当然高校を休まなければいけない。
もう単位もぎりぎりで・・・でも先生も学校も僕のやってることに理解してくれて・・・今では非常に感謝してます」

108
107
109
–レーシングスクールでスカラシップ(奨学金)を獲得し、その翌年にF3選手権で初優勝。すごい躍進ですね?

松田「それだけ必死でしたから(笑)。
レーシングスクールに入学したばかりの頃は、常に最下位争いで・・・人の技術を必死に学んで、トレーニングも欠かさず・・・。
だから、この時はうれしいという気持ちじゃなくて、ホントにホッとしました。親との約束もなんとか果たせましたし・・・」

–信じてがんばれば、夢は叶う?

松田「すごい努力も必要ですが・・・努力を積み重ねた上に開花するのが才能だと思いますし・・・。
とはいえ、それから長く苦しい時期もありました。
もうこれでダメならレースを辞めようというところまで行ったこともあります。
でも、そんな時、自分を支えてくれたのが、三重のカート時代の仲間とか昔からの友人です。
彼らの応援があったから、2年連続シリーズチャンピオンも獲得できたのだと思っています」

————————-

–突然、話を切り替えますが、趣味はラジコンだそうですね?

松田「ええ。一番好きなのはヘリのラジコンなのですが、東京周辺ではやるところがないので、最近はもっぱら車のラジコンです。
あと鉄道模型のNゲージにもはまってます(笑)。
東京にいながら、プライベートでは全然六本木とかいかないですし、もっぱらアキバ(秋葉原)ばっかりです(笑)」

–自動車業界、レース業界を取り巻く環境は、いま非常にキビイしいですが・・・。

松田「そうですね。本当に厳しいです。
でもレースというのは不変のものだと思っています。
エンジンがハイブリッドになるかも知れないし、完全に電気になるかも知れない。
でもそこにも当然技術競争があるわけですから・・・。

このような仕事をしている分、僕も環境については常に考えているので、自動車業界、そしてレース業界の進化には本当に期待していますし、楽しみですね」

110
111
113
114 115
116
201 202
過酷なハンドルワークで出来たマメ。シーズン中はもっと大きくなるとか
1102 –地元三重の番組に出ていますが・・・毎週だと大変じゃないですか?

松田「もう馴れましたね(笑)。
もう4年、三重に暮らしている頃から出演させていただいてるんですよ。
最初は林家染弥さんが司会で・・・」

–そうだったんですか。
ふるさとのテレビに出演されていてどうですか。

松田「FAXやメールでたくさん応援をいただきますし、レースの時にもたくさんサーキットに来ていただいてますので、本当にうれしいですね、感謝してます。

–テレビで何を伝えていきたいですか?

松田「やはり鈴鹿サーキットがある三重県ですから・・・もっともっとレースの面白さをお伝えできたらいいなぁ、と思っています。

あと、三重県は世界に誇れるサーキットがありながら、レーシングドラーバーをそんなに輩出していないんです。
日本では、千葉、埼玉がレース大国なんですけど、それに追いつけるようがんばりたい。

そのためにもまずはひとりでも多くの方に自動車レースの魅力を知っていただいて、そしてレーサーを目指す人が増えればと思っています」

–私(奥田)も、実は一度もレースをサーキットで見たことがないんですよ。
今年はぜひ応援にいかせてもらいます!

松田「ぜひ!
一度もサーキットでレースを観たことがない人は、ぜひ一度足を運んでみてください。
迫力とパワーに驚くでしょうし、魅了されると思いますから!」

–今日はどうもありがとうございました。

松田「ありがとうございました!」

松田次生オフィシャルサイト>>>こちら!

117
118
3001
写真/加納準 取材/オクダヒロヒサ